主として前年において、芸術文化の分野で極めて顕著な業績を挙げ、将来の活躍が期待できる方に贈られます。今年度は該当者がありませんでした。
渡邉力榮(演劇)
昭和8(1933)年1月7日生(88歳)
茂木町在住
氏の演劇活動は、学校演劇と社会人演劇の二分野に区分される。
まず、学校演劇(指導者としての活動)でみると、氏は昭和34年大学を卒業後、茂木町立烏生田小学校に奉職し、その秋には県演劇祭に出場し入選。これが氏の学校演劇の出発点になった。
更に2年後、町立鮎田小学校に転勤するや、その秋の県演劇祭で小学校部門最高位の特選カップ賞を受賞した。この年の芳賀郡演劇祭の参加は鮎田小と真岡高校の2校だけであり、郡演劇祭の存続が危ぶまれる状況にあったが、鮎田小学校の快挙は茂木町内はじめ郡内に大きな影響を与え、翌年からの参加本数の増加に繋がった。
氏はその翌々年、母校である茂木高校に転出し、かつて自分が第一号の部員であった演劇部の指導者となり、退職までの29年間その任を果たした。氏の在任中の同校演劇部は、各地区予選通過校が出場する県大会に23回出場し、上位入賞の常連校の一角を占めていた。関東大会には2回出場を果たしている。
また、この間、昭和41年に県高文連演劇部会の前身である栃木県高等学校演劇研究会が設立され、芳賀地区代表の委員として全県下の演劇部の統一に尽力した。
このような学校演劇活動を支えた精神的バックボーンとして氏は「学校における演劇は教育の一端。入賞は目的にしていない。結果よりも過程の方が子どもたちにとってより重要だ。」と語られている。
次に社会人演劇活動についてみれば、昭和29年、町の青年団活動の一つとして「茂木青年学級演劇サークル」が誕生し当初メンバーとして参加した。その後、昭和42年、氏の発案により影絵劇を始めたことをきっかけに、サークルは「星のひろば」と名を変え、現在に至るまで67年間、県内で最も活動歴の長い劇団として児童演劇や朗読劇、影絵人形劇などの活動を続け、多くの人々に親しまれてきた。また、平成26年以降は舞台芸術を目的に結成された「汽笛の響く街プロジェクト」とともに「もてぎde演劇を創る会」として、ミュージカルの公演活動を続けている。
「星のひろば」の活動は町の文化活動にも刺激を与えており、令和元年度には茂木町文化協会会長としての活動が認められ、文化振興の分野で栃木県各種功労者表彰を受賞された。
栃木県文化協会では現在、芸術祭ホール部門の運営委員長を務めるとともに、理事、常任理事を歴任し、本県芸術文化全体の振興・発展にも力を注いでいる。
中学時代から現在まで、一年もかかさず演劇をやり通し、数々の功績を挙げられた氏の生涯は見事であり、文化選奨に相応しい人物である。
赤澤 豊(書道)
昭和23(1948)年5月16日生(73歳)
宇都宮市在住
氏は昭和23年日光市生まれ。昭和44年21歳の時から七海水明氏に師事、本格的に書の研鑽が始まる。師には中央書壇での活動を勧められたが、氏は敢えて県内の書道団体で積極的に活動し、独自の書風を高めると共に栃木の書文化の振興と普及にその情熱を注いでいる。温厚・誠実で周囲からの信頼も厚く、後進の指導育成にも尽力し、大きな成果を上げている。
栃木県書道連盟では、平成元年に事務局長に就任し、会員の増強や若手育成などに取り組むと共に、平成24年には異例の若さで会長に就任し、2期4年間、栃木の書道の普及、発展に尽力した。平成4年、中国浙江省西泠印社を招聘し栃木にて友好交流会を開催、これにより栃木県書道連盟と浙江省との書の交流の懸け橋を築き、以来幾度となく友好交流や書展が栃木と中国で開催された。書道連盟創立の記念すべき節目の行事にも尽力し連盟の存在を高めており、次の会長に引き継ぐ時には「70年を振り返る」と題した講演を行い、豊道春海を始めその時々に活躍された先人達をパワーポイントで甦らせた。
栃木県芸術祭美術展では、昭和61年と63年に芸術祭賞を受賞、運営委員や審査員などを数多く務め、県芸術祭の運営発展と厳正かつ公正な審査に尽力してきた。門人の出品点数や入選点数も県下一であり、この業績は広く認められている。
宇都宮市民芸術祭では、昭和59年に芸術祭賞を受賞、以降、審査員、運営委員を幾度となく務め、芸術祭の運営発展に尽力している。平成9年の宇都宮美術館主催の第1回宇都宮美術の現在展に出品、以降第4回展まで全てに出品している。
下野新聞社関連書展では、今年で第46回となる「下野の書展」に毎年出品、昭和56年に下野書展賞、昭和60年に第10回下野書展記念賞を受賞し、昭和61年に下野の書展代表作家となる。平成8年に設立された「栃木の書壇50人展」にも毎年出品している。また、下野書道会では平成26年に副理事長、平成29年に理事長に就任し同会の発展に尽力している。
宇都宮市文化協会では、平成25年に副会長兼事務局長、令和元年に会長に就任し、協会の文化芸術に関する幅広い事業運営に積極的に取り組み、未来を担う子ども達への情操教育の一環として、市内小中特別支援学校を対象に文化芸術教育を行う「ふれあい文化教室」の全校参加を実現させると共に、団体企業向けに講師を派遣する「ふれあい文化教養講座」も開設し、社会に大きく貢献している。
氏の社中である「朴豊会(ぼくほうかい)」は、平成7年に結成されて以来、数多くの書道愛好者を育成、毎年「朴豊会書展」を開催し25回を重ねている。この会は県内最大の会員数を有し、書展は超大作の親子合作や書展を盛り上げる企画力にも特徴があり、多くの来場者を魅了している。また、氏は親子展や兄弟展を幾度か開催している。
以上が氏の文化芸術活動の実績であり功績である。特に人の輪を大切にし、人の為に尽くし、未来を創造する姿勢が旺盛であり、その信頼度は高く、栃木県書道界はもとより幅広い文化の振興を牽引した功績は高い評価に値するものである。